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東京地方裁判所 昭和61年(人)1号 判決

請求者 甲野花子こと

乙山花子

右代理人弁護士 小倉良弘

同 田中健一郎

被拘束者 甲野一郎

同 甲野春子

右両名代理人弁護士 水沼宏

拘束者 甲野太郎

右代理人弁護士 内水主計

主文

請求者の請求を棄却する。

被拘束者らを拘束者に引き渡す。

本件手続費用は請求者の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求者

1  被拘束者らを釈放し、請求者に引き渡す。

2  本件手続費用は拘束者の負担とする。

二  拘束者

主文同旨

第二当事者の主張

一  請求の理由

1  当事者の身分関係

請求者と拘束者は、昭和五一年五月二九日に婚姻の届出をした夫婦であり、被拘束者一郎は、両者の長男として昭和五一年一二月二二日に、被拘束者春子は、長女として昭和五五年一〇月二九日にそれぞれ出生したものである。

2  拘束者の事実

拘束者は、昭和六〇年一一月二九日、当時別居中であった請求者の下で監護養育されていた被拘束者らを、一郎(当時、八歳一一か月)については練馬区立戊田小学校から、春子(当時、五歳一か月)については甲田幼稚園からそれぞれ連れ去り、現在に至るまで拘束者肩書地所在の住居で監護している。

被拘束者一郎は現在九歳(小学校四年)、同春子は五歳(幼稚園年長組)の児童であり、かかる意思能力のない児童に対する監護行為は、当然にその身体に対する拘束を伴うから、人身保護法(昭和二三年法律第一九九号、以下「法」という。)及び人身保護規則(昭和二三年最高裁判所規則第二二号、以下「規則」という。)の「拘束」に該当するというべきである。

3  拘束に至る経緯

(一) 婚姻生活、被拘束者一郎の出生

(1) 請求者と拘束者は、昭和五一年五月二九日婚姻の届出をし、請求者肩書地所在の乙田マンションの一室で同居生活を始めた。このマンションの貸室八戸に請求者のほか、拘束者の家族らが居住していて、拘束者の母親丁原ハナ(以下「ハナ」という。)が経営する株式会社丁山商会(以下「丁山商会」という。)の社宅となっている。

(2) 丁山商会は、遊園地、デパート及び駅構内の軽食等の売店などの直営又は委託業務を行っていて、拘束者は、結婚を機に丁山商会に勤務するようになった。

(3) 拘束者は、夏期の繁忙期には業務多忙により帰宅が深夜に及ぶこともあったが、その期間中においても日中は自由に時間を使えるものであった。

(4) 請求者は、昭和五一年一二月二二日に、被拘束者一郎を出産し、その育児に追われていたが、拘束者は、昭和五四年以降、電話関係の機器の販売、内装設計等の副業を始めて、平日、休日を問わず帰宅時間が深夜に及ぶ不規則な生活を続けるようになり、家庭を顧みず、子供と過ごす時間は全くないほどであった。このため、請求者は、拘束者に対し、副業を控えて自宅にいる時間を長くするように懇願していた。

(二) 被拘束者春子の出生及び請求者と拘束者との別居

(1) 拘束者は、昭和五四年頃から、丁山商会の女性従業員と浮気するなど、女性関係のうわさが絶えないようになった。

(2) 請求者は、昭和五四、五年頃から拘束者に離婚話を持ち出すこともあったが、拘束者はこれに同意せず、請求者は、拘束者と共に、夫婦仲の回復を図るため、昭和五五年一〇月二九日に被拘束者春子をもうけた。

(3) 拘束者は、昭和五六年に入って、帰宅時間が一層遅くなるほか、外泊するようになった。その後、拘束者は、同年六月三〇日乙田マンションの家を出て請求者と別居し、同年七月初め頃から、当時スナックのホステスをしていた丙川松子(以下「松子」という。)と練馬区中村で同棲生活を始め、その後いずれも松子との間に出生した子である菊子を昭和五七年九月二四日に、秋夫を昭和五九年二月二三日にそれぞれ認知した。

(4) 一方、請求者は、別居後、被拘束者らを養育し、一郎をボーイスカウトに加入させるなど、実質上の母子家庭にもかかわらず、明るい家庭を築いていた。

(5) 拘束者は、時折請求者方に深夜帰宅することもあったが、短時間しかおらず、被拘束者らと一緒に食事をしたり風呂に入ったり、被拘束者らの学校等の行事に参加したりするなどして、被拘束者らと接触交流の機会を持つことはほとんどなかった。昭和六〇年六月一七日、被拘束者一郎は、マンションの駐車場でボール投げをしていて交通事故に遭い、左足骨折のため三か月程入院したが、その際も、拘束者は、数えるくらいしか見舞いにこなかった。

(三) 拘束者の離婚の要求

(1) 拘束者は、別居後間もなく、請求者に離婚を要求するようになり、昭和五九年秋には、家庭裁判所に離婚調停の申立てをしたが、請求者が離婚に同意しなかったため調停は不調に終わった。

(2) 拘束者は、引き続き、請求者に離婚を要求していたが、その後、昭和六〇年一一月二二日、請求者宅に離婚届出用紙を持参して署名押印することを要求した。請求者は、右届出用紙に署名押印するには、被拘束者らの親権者を請求者とすること、拘束者の母親ハナの了承をとることが条件であると答えた。

ところが、拘束者は、親権者の点に同意したのみで直ちに署名押印するよう執拗に求め、請求者がこれに応じないとみるや、請求者のハンドバックから認め印一個を強引に取り上げこれを持ち去った。

(四) 拘束及び離婚届出

(1) 請求者は、昭和六〇年一一月二五日、被拘束者一郎に生活上の注意を与え、その際、プロ野球球団応援用小旗のプラスチック製の柄で一郎の頭を手加減を加えつつ打った。その際に、小旗の柄が折れたが、これは既にその部分がひび割れていたことによるものに過ぎなかった。就寝時に、被拘束者一郎が痛いと述べたので、請求者は、その頭部を見たが、瘤も皮下出血も認められなかった。被拘束者一郎は、翌朝、何事もなかったように元気に学校へ行った。

(2) ところが、拘束者は、被拘束者一郎より電話で旗竿で打たれたことを聞き、前記2のとおり、同月二九日被拘束者らを、小学校及び幼稚園から呼び出して連れ去った。

(3) その後、拘束者は、同年一二月九日、請求者の署名及び押印を冒用して、被拘束者らの親権者を拘束者とする虚偽の離婚届書を作成して、区役所に提出した。

4  拘束の違法性及びその顕著性

(一) 拘束者の被拘束者らに対する監護状況

(1) 拘束者は、請求者及び被拘束者らを置いて家を出て、その直後から松子との同棲生活を続け、請求者らとの家庭を顧りみず、更には、請求者の印を奪ってまで離婚届を出しているものであり、その生活態度は反倫理的であって、拘束者は、良識ある社会人としての資質及び父親としての責任感を欠如している。また、過去の経緯からして、拘束者は、再び浮気する可能性がある。

(2) 拘束者の現在の家族は、内縁の妻松子のほか、同女の先夫との子供、拘束者と松子との子供二名であり、かかる複雑な人間関係の下に被拘束者らを置くことは、将来的に見て被拘束者らの人格形成に良い影響をもたらすものではない。また、実母でない松子において、被拘束者らを適切に養育しうるか疑問である。

(3) 拘束者の生活基盤は、拘束者の母親ハナの経済力に負うところが大きく、仮にハナの経済力が失われたときには、拘束者らの経済的基盤も又瓦壊する可能性がある。

(4) 以上よりして、拘束者の下での養育環境は、被拘束者らの幸福の見地から見て決して好ましいものではない。

(二) 請求者の予定する被拘束者らの養育計画

(1) 請求者は、被拘束者らが手許に戻った場合、杉並区《番地省略》の請求者の実家で、請求者の両親と同居して生活する予定である。請求者の実家の建物は、建坪約二〇坪、地上二階地下一階建の建物であり、被拘束者らを養育するのに十分の広さがある。小学校及び幼稚園が近くにあり、請求者は、従前から被拘束者らを連れて実家に帰ったことがしばしばあるから、被拘束者らは、その環境に慣れている。

(2) 請求者は、昭和六一年六月から、父親の寺院の事務手伝いの仕事を始め、月給一五万円を得ている。

(3) 被拘束者らを生後一貫して養育してきた請求者の愛情の下で監護する方が、監護養育の継続性に合致し、被拘束者らの幸福に添うものである。

5  よって、法二条及び規則四条に基づき、被拘束者らの即時釈放を求める。

二  請求の理由に対する認否

1  請求の理由1の事実は認める。

2  同2の事実のうち、拘束者が、請求者主張の日時、場所において、被拘束者らを連れ帰り、現在請求者主張の場所で監護していることは認め、その余の主張は争う。

3(一)  同3の(一)の事実のうち、(1)、(2)は認める。(3)のうち拘束者が夏期の繁忙期に業務多忙により帰宅が深夜に及ぶこともあったことは認め、その余は否認する。(4)のうち、請求者が請求者主張の日に被拘束者一郎を出産したことは認め、その余は否認する。

拘束者は、丁山商会の代表者ハナの息子として、ハナから、他の従業員に勝る働きをするよう要求されたうえ、営業管理から人事管理、新部門設置のための企画、調査まで行ていたのであり、請求者は、かかる中小企業における拘束者の勤務条件への理解に欠けていた。また、拘束者は、可能な限り、被拘束者らと食事を共にし玩具で遊んでいた。

(二) 同3の(二)の事実のうち、(1)は否認する。(2)は認める。(3)のうち、拘束者が昭和五六年に入って、帰宅時間が一層遅くなるほか、外泊するようになったことは否認し、その余は認める。(4)のうち、請求者が別居後被拘束者らを養育したこと、被拘束者一郎がボーイスカウトに加入していたことは認めるが、その余は知らない。(5)のうち、請求者主張の日時、場所において、被拘束者一郎が交通事故に遭い、左足骨折のため三か月程入院したことは認めるが、その余の主張は争う。

拘束者は、拘束者の母親ハナの離婚歴に鑑み、子供を見捨ててはならないと考え、被拘束者らの養育費として、月給手取り二一万円中より一か月一二万円(昭和五七年四月以降一か月一四万円、同五八年四月以降一か月一六万円に増額)を請求者に仕送りしていたし、別居後も、請求者方の家賃、水道光熱費等は、丁山商会が全額負担していた。また、拘束者は、被拘束者らの健全な成長を願って、誕生祝いを欠かさず、モーターショウの見学等に被拘束者らを連れ出し、一郎の入院中にも、その当初の半月以上の間は連日のように見舞いに行っていた。

(三) 同3の(三)の事実のうち、(1)は認める。

なお、請求者は、被拘束者らが成長した時に、子供を見捨てるような父親では請求者が離婚するのも無理なかったと思わせるようにしたいと考え、被拘束者らの親権者を請求者とすることに加えて、拘束者において、将来にわたり被拘束者らと会わないことを求めるようになった。

(2)のうち、拘束者が、請求者主張の日に、請求者宅に離婚届出用紙を持参したこと、拘束者が請求者の印を持ち帰ったことは認めるが、その余は否認する。

請求者は、話合いのすえ、拘束者に対し、離婚後の被拘束者らの親権者を拘束者とすることに同意し、離婚届書の届出人欄の請求者の署名押印部分を含め、離婚届書全体の作成を拘束者に依頼して、拘束者が請求者の印を持ち帰ることを了承したものである。

(四) 同3の(四)の(1)の事実のうち、請求者が請求者主張の日にプロ野球球団応援用小旗のプラスチック製の柄で被拘束者一郎の頭を打ったこと、その際に、小旗の柄が折れたことは認めるが、小旗の折れた部分が既にひび割れていたこと、被拘束者一郎の頭部に皮下出血が認められなかったことは否認する。(2)は認める。(3)のうち、拘束者が請求者主張の日に、被拘束者らの親権者を拘束者とする離婚届出書を区役所に提出したことは認めるが、その余は否認する。

4(一)  同4の(一)の事実のうち、(1)ないし(3)の事実は否認し、(4)の主張は争う。

(二) 同4の(二)の事実のうち、(1)、(2)の事実は知らない。(3)の主張は争う。

三  拘束者の主張

1  拘束の開始についての違法性の欠如

(一) 請求者は、昭和六〇年頃から、被拘束者らに対する躾に一貫性がなく、叱責の程度、方法に異常さが目立つようになった。特に、被拘束者一郎に対する折檻がひどく、その顔面を二〇ないし三〇回殴打することもしばしばあった。その結果、被拘束者は、目の輝きがなくなり、虚無的な態度を示すようになった。拘束者においても、近親者からこのような事態を予め聞かされていた。

(二) そうするうち、請求者は、同年一一月二五日、机の中を整理していないという些細なことに怒って、最初平手で顔面を一〇回程度殴打したうえ、小旗二本の柄で頭部を二〇回程殴打し、小旗の柄が折れた後も、更に一〇回程顔面を殴打するに至った。

(三) 拘束者は、同月二六日被拘束者一郎から、勤務先に電話で右殴打の事実を告げられたことから、被拘束者らをこのまま請求者の手許に置いておいた場合に生じうる被拘束者らの精神的肉体的危険を防ぐため、被拘束者らを引き取ることとし、同月二九日担任の教師らに断りを述べて連れ出し、自ら監護するに至った。

(四) このように、拘束者は、請求者による異常な監護養育状態から、被拘束者らを救済したものであり、本件拘束は、違法性を欠くというべきである。

2  拘束者の下での生活状況

(一) 生活環境

被拘束者らは、拘束者、松子、松子と前夫との子桜子(昭和五〇年一月二六日生)、拘束者と松子との子菊子(昭和五七年九月一一日生)、同秋夫(昭和五九年二月一二日生)と一緒に、建坪約三七坪の借家で居住している。

(二) 経済状況

拘束者は、丁山商会から、月二一万円、ボーナス各期四〇万円の収入を得ている。拘束者らの右借家の家賃月二五万円は、拘束者の母親ハナが負担している。

(三) 生活状況

松子は、料理が巧く、子供好きで母親としての愛情を有しているので、被拘束者らは、松子になつき、一郎の投げやりな態度は消滅し、生き生きとした目をするようになった。被拘束者らは、それぞれ小学校、幼稚園に通学、通園中であり、学校等の友達も多く、拘束者の親族も訪れるので、平穏に楽しく暮らしている。

3  請求者の下での生活状況

(一) 請求者による被拘束者らの日常の監護養育状態が異常なものであったことは、前記1(一)、(二)記載のとおりである。

(二) 請求者は、感情、思考、行動に振幅の差が激しく、躾に一貫性を欠いているので、請求者が被拘束者らを監護することは、被拘束者らの人格形成にとって好ましくない。

4  被拘束者らの希望

被拘束者らは、拘束者の下において生活するようになってより後においても、請求者に電話をかけることもなかったものであり、また、本件準備調査期日における審尋において、請求者の下での生活と現在の拘束者の下での生活を比較して、拘束者の下で生活する方が良く、請求者の下へ戻るつもりがないことを明言している。

四  拘束者の主張に対する請求者の認否

1  拘束者の主張1の事実のうち、(一)ないし(三)は否認する。(四)の主張は争う。

2  同2の事実は全部知らない。

3  同3の事実は全部否認する。

4  同4の主張は争う。被拘束者らは、拘束者らに日常の世話を受けていることにより、保身のための屈折した迎合的心情を有している。

第三疎明関係《省略》

理由

一  請求者と拘束者は、昭和五一年五月二九日に婚姻の届出をした夫婦であること、被拘束者一郎は請求者、拘束者間の長男として昭和五一年一二月二二日に、被拘束者春子は長女として昭和五五年一〇月二九日にそれぞれ出生したものであること、請求者と拘束者は、昭和五六年六月三〇日に別居するに至り、以来請求者が被拘束者らを養育監護していたこと、拘束者は、昭和六〇年一一月二九日、被拘束者一郎を小学校から、被拘束者春子を幼稚園からそれぞれ連れ去り、現在被拘束者らを監護していること、拘束者が、同年一二月九日被拘束者らの親権者を拘束者とする離婚届書を区役所に提出したことは、当事者間に争いがなく、後記三2(一)ないし(三)認定の事実に、本件準備調査における請求者及び拘束者の各審尋の結果を総合すると、請求者と拘束者との夫婦関係は、現在既に破綻に瀕していることが明らかである。

二  右一に判示した事実によれば、被拘束者一郎は現在九歳六か月、被拘束者春子は五歳八か月の年齢であって、いずれも意思能力のない児童であり、拘束者が被拘束者らを監護する行為は、当然に児童の身体の自由を制限する行為を伴うものであるから、愛情の有無、監護方法の当不当にかかわらず、その監護行為自体が法及び規則にいう拘束に当たると解すべきである(最高裁判所昭和四三年七月四日判決・民集二二巻七号一四四一頁)。

そして、拘束者においてした前記離婚届は、後記三2(一)ないし(三)認定の事実によれば、請求者の離婚意思に基づくものといえるのか疑問があり、したがって、これに基づく拘束者と請求者の離婚が有効と断定することはできない。仮りに右離婚が請求者の離婚意思を欠く故に無効であるとするならば、被拘束者らは、いまだ請求者と拘束者との共同親権に服していると解されるところ、前示のとおり、夫婦関係が破綻に瀕している場合において、別居中の夫婦の一方から他方に対し、法に基づきその共同親権に服する子の引渡しの請求がなされたときは、子を拘束する夫婦の一方が法律上監護権を有することのみを理由としてその請求を排斥すべきではなく、子に対する現在の拘束状態が実質的に不当であるか否かをも考慮してその請求の当否を決すべきものであり、右拘束状態の当、不当を決するについては、夫婦のいずれに監護せしめるのが子の幸福に適するかを主眼として判断すべきである。その結果、子に対する現在の拘束状態が実質的に当を得たものであり、拘束者に監護させる方が子の幸福に適するというのであれば、法による救済の請求について規則四条本文がその要件とする拘束の違法の顕著性は存在しないことになる。また、仮に離婚が有効であるとしても、被拘束者らの親権者及び監護者について、請求者と拘束者との間に明確な合意がなかったことは後記のとおりであるから、やはり同様に解するのが相当である。

三  そこで、本件において、被拘束者らに対する拘束の違法性が顕著であるか否かについて判断する。

1  請求の理由3の(一)の(1)、(2)の事実、同3の(一)の(4)の事実のうち、請求者が昭和五一年一二月二二日に被拘束者一郎を出産したこと、同3の(二)の(2)の事実、同3の(二)の(3)の事実のうち、拘束者が昭和五六年六月三〇日乙田マンションの家を出て請求者と別居し、同年七月初め頃から松子と練馬区中村で同棲生活を始めたこと、拘束者がその後いずれも松子との間に出生した子である菊子を昭和五七年九月二四日に、秋夫を昭和五九年二月二三日にそれぞれ認知したこと、同3の(二)の(4)の事実のうち、請求者が別居後被拘束者を養育したこと、同3の(二)の(5)の事実のうち、昭和六〇年六月一七日被拘束者一郎がマンションの駐車場でボール投げをしていて交通事故に遭い、左足骨折のため三か月程入院したこと、同3の(三)の(1)の事実、同3の(三)の(2)の事実のうち、拘束者が昭和六〇年一一月二二日請求者宅に離婚届出用紙を持参したこと、拘束者が請求者の印を持ち帰ったこと、同3の(四)の(1)の事実のうち、請求者が同月二五日プロ野球球団応援用小旗のプラスチック製の柄で被拘束者一郎の頭を打ったこと、その際に小旗の柄が折れたこと、同3の(四)の(2)の事実、同3の(四)の(3)の事実のうち、拘束者が同年一二月九日被拘束者らの親権者を拘束者とする離婚届書を区役所に提出したこと、拘束者が現在拘束者肩書地所在の住居で被拘束者らを監護していること、以上の事実は当事者間に争いがない。

2  右の争いのない事実に、《証拠省略》を総合すると、以下の事実が一応認められる。

(一)  請求者及び拘束者が別居するまでの夫婦の生活状況及が被拘束者らに対する監護養育状況

(1) 請求者(昭和三一年八月一日生)と拘束者(昭和三三年五月二四日生)は、昭和五一年五月二九日婚姻の届出をし、その頃から、請求者肩書地所在の乙田マンションの一室で同居生活を始めた。拘束者の母親ハナは、遊園地、駅構内の売店等を経営する丁山商会の経営者であるが、右マンションの八部屋を同社の社宅として一括して借り上げ、自己及び自己の娘のほか、長年手伝いとして稼働していた丁海ハル等の住居としていたものであり、同年六月二〇日から同社に勤務することとなった拘束者に、社宅の一室を新居として貸し与えたものであった。

(2) 間もなく、昭和五一年一二月二二日、被拘束者一郎が出生したが、拘束者は、次第に丁山商会の勤務が多忙になるにつれて、その帰宅時間が遅くなるようになり、請求者が、丁海の協力を得て子育てを行っていた。

(3) しかしながら、請求者は、丁海との折り合いが悪く、また、拘束者が内装設計工事請負等の副業も行い、その帰宅時間が深夜に及んで不規則となり、週末も家にいないため、拘束者に度重ねて不満を述べ、家族との時間を持つことを求めるようになり、昭和五四年頃からは、離婚話を持ち出すまでになった。また、一方、請求者は、拘束者の丁山商会の女性従業員等との浮気話を耳にするようになった。

(4) 請求者と拘束者は、夫婦仲を回復させるため、更に、昭和五五年一〇月二九日、被拘束者春子をもうけたが、拘束者の生活状態は変らず、請求者は、拘束者に、一層離婚を求めるようになった。これに対し、拘束者は、実母ハナの離婚によって自らが被ったのと同様の境遇に被拘束者らを置きたくないとの考えから、離婚に同意しなかった。

(5) その後、拘束者は、昭和五六年六月、社用の出張の際に家族旅行を兼ねて請求者ら家族と共に関西旅行に行ったが、旅行から帰った後も、拘束者が前記副業に力を入れるなどしたため、夫婦仲は改善されなかった。請求者は、玄関にボストンバックを置くなどして実家に戻る様子を示すようになった。ところが、拘束者は、同年六月三〇日乙田マンションの家を出て請求者と別居し、同年七月初め頃から、当時前夫と協議離婚した直後の松子と練馬区中村所在のマンションで同棲を始めるに至った(別居及び松子との同棲の点については、当事者間に争いがない。)。

(二)  別居後の夫婦それぞれの生活状況及び被拘束者らに対する請求者の監護養育状況

(1) 拘束者は、別居後も前記乙田マンションに居住する請求者及び被拘束者らに対し、生活費及び養育費として月一四万五〇〇〇円ほど(昭和五六年九月から月一六万円に増額され、昭和六〇年四月から拘束者の母親ハナが更に月一万五〇〇〇円負担することとなった。)の仕送りを続け、被拘束者らの誕生日などにプレゼントを送るなどしていた。拘束者は、別居後間もなく自らも請求者に離婚を求めるようになったが、拘束者の母親ハナが離婚に反対し、むしろ請求者側に協力的であったことなどにより、離婚話が進捗しないまま推移した。

(2) 一方、拘束者は、いずれも松子との間の子である菊子(昭和五七年九月一一日生)を同月二四日に、秋夫(昭和五九年二月一二日生)を同月二三日に、それぞれ認知し(この点は、当事者間に争いがない。)、この間の昭和五八年八月頃練馬区《番地省略》所在の建物に転居し、松子との同棲生活を続けていた。

(3) その後、拘束者は、昭和五九年秋に、家庭裁判所に離婚の調停を申し立てたが、二回の期日を経て不調になった。

(4) 被拘束者らは、以上のように請求者の下で養育されて成長し、被拘束者一郎は昭和五八年から小学校に通い、同春子も幼稚園に通い始めた。ところで、請求者は、被拘束者らの平素の躾について、昭和六〇年頃になると、被拘束者らに対して叱責する場合が一貫せず、特に、被拘束者一郎に対する叱責、折檻の程度も多数回たたいたり、深夜遅くまで叱るようになった。その頃から、周囲の者が、被拘束者一郎の応接の態度に子供らしさに欠け無気力な感じを受けるようになった。

(5) 被拘束者一郎は、昭和六〇年六月一七日、マンションの駐車場でボール遊びをしていて交通事故に遭い、同年九月二五日まで入院していた(この点は、当事者間に争いがない。)。被拘束者一郎が退院した頃から、請求者は、拘束者の離婚要求に対し、離婚後は拘束者において被拘束者らと一切会わないことを要求するようになった。

(6) 拘束者は、昭和六〇年一一月二二日、乙田マンションの請求者方に離婚届用紙を持参して署名押印を求めた(離婚届用紙の持参の点については、当事者間に争いがない。)。これに対し、請求者は、離婚自体には応ずるとしても、被拘束者らの親権者を請求者とすることと、慰藉料及び養育費などの離婚の条件を明確に取り決めておくようかねて請求者に忠告していた拘束者の母親ハナの承諾を得るように答えた。そのようなやりとりのうちに拘束者は、なおも直ちに署名押印するよう求め、請求者のハンドバックから請求者の認印を持ち去ったが、請求者は、別段これをとめようとはしなかった。

(三)  本件拘束に至る事情

(1) 請求者は、昭和六〇年一一月二五日、被拘束者一郎が当日の集団登校の途中、下級生の鞄を後ろから蹴とばして歩いていた旨被害者の母から注意を受けたことに加え、かねて被拘束者一郎に机の引き出しの中を整理し、また、入院中に友人からもらった手紙等を整理したうえ返事を出すよう言っておいたにもかかわらず、これを怠っていたことに怒って、野球応援用の小旗のプラスチックの柄で、被拘束者一郎の頭部を多数回たたき、その際、小旗の柄の先が折れるに至った(右懲戒行為及び旗竿が折れた点については、当事者間に争いがない。)。被拘束者一郎は、痛がって泣いていたものの、熱も吐気もなく、翌二六日、平常通り学校へ登校した。

(2) ところが、同日、被拘束者一郎から勤務先に電話を受け、「頭を叩かれて痛い。」との訴えを受けた拘束者は、かねて請求者の被拘束者らに対する叱責が度を越えていると聞いていたこともあって、請求者の養育方法に疑問を抱き、被拘束者らを自己が引き取ることとし、同月二九日に、被拘束者らをそれぞれ小学校、幼稚園から連れ去った(この点は、当事者間に争いがない。)。拘束者は、同日被拘束者一郎に直ちに医師の診察を受けさせたところ、頭部の局所にわずかな皮下血腫と圧痛が残っていた。

(3) その後、拘束者は、請求者からの取戻しを防ぐため、松子と共に被拘束者らを連れて東京都内のホテル等を転々としたうえ、丁山商会の関係者を頼って熊本へ赴き、転籍手続までしたが、間もなく請求者に所在を確知されたため、昭和六一年一月初旬頃再び東京に戻り、結局、拘束者肩書地の居宅に落ち着いた。

(4) 一方、その間に、拘束者は、請求者の下から持ち出した前記認印を使用し、離婚届出用紙の届出人欄の請求者の署名押印部分を拘束者側で作成して、昭和六〇年一二月九日に、被拘束者らの親権者を拘束者とする離婚の届出をした。

以上の事実が一応認められ(る。)《証拠判断省略》

3  拘束者の下での現在の被拘束者らの養育状況及び環境

《証拠省略》によれば、以下の事実が一応認められる。

(一)  生活環境

現在、拘束者は、肩書地の二階建居宅において、丙川松子、松子と前夫との子である桜子(小学校六年生)、拘束者と松子との子である菊子(幼稚園年少組)、同秋夫(二歳)、被拘束者一郎(小学校四年生)、同春子(幼稚園年長組)とともに居住している。右居宅は七部屋あるので、被拘束者一郎の勉強部屋も確保されている。

(二)  生活状況

被拘束者らの日常の世話は、主に松子が行っているが、拘束者も、夕食時にはいったん帰宅して被拘束者らと接するよう心掛けている。松子は、子供達五名を分け隔てなく養育し、被拘束者らは、拘束者のほか松子にもなついており、元気に子供らしい毎日を過している。近くの小学校に通う被拘束者一郎は、のびのび育てたいという拘束者の教育方針の下に、昭和六一年二月から地元の少年野球に属しており、被拘束者春子は、ピアノを習う予定である。被拘束者一郎は、学校の友達も多くいるほか、拘束者方には拘束者の親族らも訪れ、五人の子供達は、実の親を異にしながらも互いに仲良くにぎやかに生活している。

(三)  経済状況

拘束者は、丁山商会に勤務して、年収八〇〇万円ほどの収入を得ている。現在居住している前記居宅は、丁山商会の名義で賃借されているものであるが、その家賃月二五万円は、拘束者の母親ハナが負担している。

4  請求者の下で予定される被拘束者らの養育環境

《証拠省略》によれば、以下の事実が一応認められる。

(一)  生活環境

請求者は、従来通り肩書地のマンションに単身居住しているが、被拘束者らを引き取った場合には、杉並区《番地省略》所在の請求者の父親が所有する鉄筋コンクリート造り地上二階、地下一階の建物(一階店舗兼居宅、二階居宅、地下倉庫)で、請求者の両親と共に生活する予定である。請求者は、拘束者との別居後、被拘束者らをたびたび実家に遊びに連れて行ってるので、被拘束者らも請求者の両親になじんでいる。

(二)  生活状況

請求者は、被拘束者らを請求者の父親の右住居近くに所在する小学校及び幼稚園に通わせる予定である。更に、請求者の父が管主をしている寺で被拘束者らの情操教育を行ない、請求者の姉の夫が、被拘束者らの父親代わりになって、請求者らを援助する態勢を整えている。

(三)  経済状況

請求者は、昭和六一年六月から父の寺の事務手伝いをして、月収一五万円ほどの収入を得ている。請求者の父親所有の前記建物のうち、一階店舗部分は現在閉めているが、ここを他に賃貸すると月二〇万円ほどの収入が得られるので、その家賃収入を請求者と被拘束者らの生活の資に充てることも可能である。

5  被拘束者らの希望

本件準備調査期日での審尋において、被拘束者一郎は、請求者は平素自分を叱責するにあたりしばしば尻、頭を一〇回ないし二〇回程手又は物をもってぶつことがあったこと、また、深夜遅くまで叱ることもあったことを供述し、被拘束者春子と共に、現在の生活の方が良い旨供述している。請求者は、被拘束者らの右供述に関し、被拘束者らは、拘束者らに日常の世話を受けていることにより、保身のための迎合的心情を有する旨主張するが、これを一応認めるに足りる証拠はない。

四1  以上認定の事実関係の下において、被拘束者らを、請求者と拘束者のいずれに監護させるのが被拘束者らの幸福に適するかについて検討する。この点については、本来、家庭裁判所において、科学的な調査、検討を行って慎重に決せられるべきものではあるが、当裁判所は、暫定性、緊急性、補充性を特質とする人身保護請求手続において、収集可能な資料によって判断する。

2  前記事実関係、特に、被拘束者らは、いずれも生後請求者により養育されたものではあるものの、拘束者らに引き取られてより既に半年以上の同居生活を経て、拘束者らとの生活になじみ、拘束者には勿論、松子らにもなついており、一応安定した生活状態が形成されていること、そして、拘束者の下において、被拘束者らが格別その幸福に反する扱いを受けているとも認められないのであるから、この時期において、被拘束者らを再び請求者の下に戻し、前記の安定した生活状態を覆すことは、被拘束者らの幸福に添うものとはいえないこと、被拘束者一郎は既に学齢期にあり、被拘束者春子も学齢期に近いこと、拘束者において、本件拘束を開始するについて採った手段、方法に穏当を欠くものがあるとしても、拘束者が本件拘束をするに至った動機は、請求者の被拘束者らに対する平素の叱責が度を越えており、もはや被拘束者らをこのまま請求者の監護の下に置いておくことは適切でないとの判断に出たものであって、これをもって、直ちに不当と断ずることもできないことなどの諸事情よりすれば、被拘束者らを請求者に監護させるよりも拘束者に監護させる方が、被拘束者らにとっての幸福に適すると認めるのが相当であり、この認定に反する疎明資料はない。

したがって、拘束の違法の顕著性は存在しない。

五  よって、請求者の本件請求は理由がないからこれを棄却し、法一六条一項により被拘束者らを拘束者に引き渡すこととし、手続費用の負担につき法一七条、規則四六条、民事訴訟法八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 藤田耕三 裁判官 岩田眞 舛谷保志)

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